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卒業の時

卒業の時

あの震災から20日。
直接被害のなかった地域では、
少しずつ、日常の生活を取り戻しつつある。

それでも、
思わぬところに影響が出ていることに、驚かされる。

今は、卒業の時。
大学の中には、卒業式を中止したところもあった。
袴を用意した女の子も多かったろう。
色や形、ブーツにするか、草履にするか。
きっと迷ったに違いない。

ある美術大学の卒業制作展示も、
中止となった。
卒展といえば、
美大生が一年がかり、もしかしたら、入学時から4年間、
その時を目標に、
身を削るようにして作品を創り上げたに違いない。
その発表の場を失った。

首都圏の大学は、
入学式を中止したところも多い。

授業は、5月からと聞くと、
そこまで影響があるのかと
事の深刻さを
あらためて思い知る。

そして、
新年度の運動会まで、
中止を決定した小学校もある。

こうした行事、イベントが軒並み中止、延期となると、
あたりまえに行っていた日常の、
ありがたさを感じる。

被災地の方々は、
イベントどころではない。
きっと今日を生きることが、
精いっぱい。
だからもちろん、欲を言ってはいけない。

それでもやっぱり、
自粛、縮小、我慢はかりでは、
日本、元気を失っちゃうでしょう。
出来ることは、
普通にやったほうがいい。
と、私は思う。

ことし桜の花は、
まだまだ、固く蕾をとざしている。
人々がもう少し元気を取り戻して、
活動を始めるのを
待ってくれているようだ。









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これは使える!!レターパック

レターパック

友人の家が、
仙台市青葉区にあります。
水道と電気は復旧し、
自宅にかろうじて住めるものの、
街は悲惨な状況で、スーパーに食べ物が全然ないとか。

先日新聞で、
郵便局の「レターパック」を使えば、
被災地でも自宅まで郵送できるという記事が載っていたのを思い出し、
送ることにしました。
買い置きが、一枚あったのです

ポストに投函できるのですが、
何日かかるかわかりません。1週間か、10日か。。。
日持ちすると言えば、干しうどんです。
四国徳島の麺を届けよう!!
我が家で定番のお取り寄せ
オカベのうどんを送ることにしました。

レターパックですから、厚さは3センチ程度。
12食分を、紙にくるんで詰め、
宛名は、
どんな過酷な状況でも、決して滲まないように、ちゃんと届くように、
油性マジックで、大きな文字で書きました。

少しでも早く届けたかったので、
近くの郵便局へ。
受付の女性が、その目立つ住所と「干しうどん」のでっかい文字を見てにっこり。
思わず「被災地の自宅まで直接届けられるなんて、ありがたいです☆」と言ったら、
レターパックなら、
速達に近い扱いなので、
普通郵便より、優先的に届けられるし、
番号で、その荷物がどこにあるのか、所在も調べられると教えてくれました。

郵便局のカウンターで発送したのが、
昨日の夕方16時50分。
そしたら、なんと、
今日には、仙台の友人宅に届いたのです。
24時間以内に届いた!ことになります。
(今のところ、個人の被災地への宅配便は、
受け取る人が、配送センターまで取りに行かなければなりません。)


今回初めて知りましたが、
レターパック500と、レターパック350があり、
どちらも重さ4kgまで。
350のほうは、厚さ3センチまでだそうです。
私のうどんの包みは、
パンパンに詰め込んだので、500の方で正解でした(^O^)/

被災地には、レターパックで!!ただし、薄いものに限りますが(@_@;)。

そして、
オカベの麺は、少し細めの干しうどんで、
のどごし抜群。ぜひ、お試しを



国際交流ハーティ港南台さん

雨

地域に住む外国人の方の支援をしている、「ハーティ港南台」というNPO法人があります。
病院で、日本語が話せなくても病状を伝えられる「多言語医療問診票」を作ったり、
幼い子どもづれの女性に日本語教室を開いたり、
フィリピンに出向いて医療、教育の支援をしたりと
19年にわたり、有効な活動を続けておられます。

2年半前にフィリピンに建てた図書館のその後を、
代表のOさん達が視察してきた報告会に参加しました。
Oさんのご自宅で、みんなでお昼をいただきながらの楽しいおしゃべりです。

寄付を募り、夏祭りで焼き鳥を売ったりして資金を作り、
図書館を建てたのは、
ジョーンズという貧困に苦しむ村。
フィリピンの空港から、
道なき道を、車で10時間も走ったところにある村です。

Oさんが、支援でフィリピンを訪れるのは
今回で5度目だそうですが、
いまや本の数は1万冊となり、
建物は、子ども達や遠くの街からわざわざ調べものに来た人たちであふれ、
村の文化の中心地としての役割を果たすまでに定着していたと、
Oさんは喜んで、たくさんの写真を見せてくれました。

Oさんは、たぶん私の母と変わらない位の年齢の女性ですが、
その行動力と熱意、熱いハート、バイタリティーには、いつも驚かされます。


そしてOさんは、仙台の出身。
今日、この度の東日本大震災に向けての取り組みを聴きました。
日本人、外国人関係なく、
妊婦さんと、子ども連れの女性に限り、
受け入れ可能なメンバーの方々の自宅に、受け入れをするそうです。
出産する病院についても、既に手配を済ませたとか。
今日の読売新聞に、その支援についての記事が掲載されています。


以前、Oさんに
「支援が必要な人は国内にもいると思うが、なぜ外国人なのですか?」と
聞いたことがあります。
子どもの頃、
仙台の川が氾濫して、
ご自宅の家財のほとんどを失ったそうです。
希望を失っていた時、
横浜港に、アメリカからの支援物資が船で届き、
Oさんは、真っ赤なウールのコートを貰いました。
そのポケットの中には、
英語で、「私の大切なものを、あなたにあげる」
(英語で書けないのが、残念(@_@;))
と書いたメモが入っていたそうです。
本当にうれしかったと。

それから、彼女は英語を学び、
子どもに英語を教える仕事などをして、
今は、外国の方への支援をしているという話でした。


長くなりましたが、最後に。

Oさんが日本語を教えているウクライナ人の方が、
今回の震災後、泣きながら電話をしてこられたそうです。
自分は、チェルノブイリで被害を受けて日本に来たけれど、
今の被災地などで見る日本人の、礼節に満ちた態度に驚き、感銘を受けていると。
こんな光景は、母国では見たことがないと。
多くの外国人が、急いで自国に退去する中、
余震が続き、恐い思いをしたとしても、
この素晴らしい日本を、離れたくないと。

いつもまにか 春。

グリーンIMG_3426

地震の影響で、買い出しに回ったり、テレビに見入ったりしているうちに、
もう一週間がたちました。
被災地の方々にとっては、長い長い一週間だったことでしょう。

ほとんど影響のない我が家でさえ、
気持ちはどこか浮足立っていて、
ふと、テーブルのグリーンに目をやると、
ミントの葉っぱが、こんなにぐいーんと。

芽IMG_3416

水仙


プランターに植えた球根は、いつの間にかこんなに芽が出そろい、
水仙はつぼみを付けました。
どんなことが起こっても、
こうした自然のいとなみはいつも通り。
誰も見ていなくても、
きちんと自分のすべきことは、
ちゃんとこなしている。
そんな姿に、癒されます。

ハンギングタブロ

アップ

多肉植物もそれぞれ茎を伸ばし、
こんなかわいい花を咲かせました。

わたしも、
いま目の前にある自分のすべきことを、
コツコツとやっていこうと思います。

大震災

今回の東日本大震災では、
多くの方々が、甚大な被害を受けました。
連日、悲惨な状況を伝える報道が続いています。
被害を受けた方に、心よりお見舞い申し上げます。

幸いにも私自身は、被害を受けませんでしたが、
多くのことを学びました。
その記憶が新しいうちに、自分の記録としてここに残そうと思います。


私が受けた被害といえば、
電車が動かなかったということだけだ。
それだけでうろたえ、大きく混乱した。
結論から言うと、私に欠けていたのは、
情報。というより、情報を手に入れる為の知識だった。

最寄駅から電車で40分ほどの川崎駅構内にいた。
最初は、自分の目眩かと思ったその瞬間、
駅前の高い天井が、バタバタと大きく揺れるのが見えた。
出かける前、ダウンジャケットのフードを外してきたことを悔やんだ。
頭がいちばん怖かった。

駅構内の石の太い柱がしなり、
ガラスの部分が多く、天井が降ってくるかと
一瞬のうちに、いのちの危険を感じた。
柱の近くが良いのか、離れるべきかがわからなかった。

揺れが一旦おさまり、駅前広場に出ると、
駅周辺の建物から多くの人たちが飛び出してきた。
デパートの7階にいたという店員さん達は、
皆おそろいのムートンクッションを頭にのせていた。
ガラスは割れて、天井の照明が落ち、売り物のクッションを
お客様にフリスビーのようにびゅんびゅん飛ばしたそうだ。

再び大きな揺れが来た時、
高層のホテルが大きく横ゆれしていたが、
それを携帯電話の動画で撮影する人がたくさんいた。
その頃から、神奈中のバスは運転を開始していた。
バスは使える。

横浜行のバスに並ぼうと、逆側のバスロータリーに行ってみると、
既に200人は並んでいた。
雨も降ってきたので、とりあえずコンビニに入ったが
傘と温かい飲み物を買うのにも、長蛇の列に並ぶことになった。
バスを待つ人の列は、さらに延びていたが、
列の最後尾に並んだのが、午後3時半。

神奈中バスは、
便を増発して、どんどん乗客を運んで行ったが、
横浜行は市営バス。
後からわかったことだが、
市営バスは、その頃運行を中止していた。
携帯は繋がらず、携帯の電池は切れかけていたので、検索も躊躇された。
その列に並んだ人は、さらに増え続けた。
3時間半待っても、横浜行のバスは一本も来なかったが、
次第に、待つ順番が前に前に動いたのは、
バスを諦めた人が多かったからだ。
列の人とも会話して、
順番にトイレに行ったが、
その時はじめてラジオを耳にし、
JRなど電車は、その日中に動かないことを知った。
ラジオは、有効だと痛感した。
その時、東北大震災と伝えるアナウンサーの言葉を聞き、
事の重大さを、初めて知った。

これも後からわかったが、
待機所に移動した人、歩いて家路についた人が多かった。
何も知らず、
歩くには余りに遠く、寒く、道も解らず。
ただただ、待って7時ごろ、
最初の一台が来た。

幸運なことに、そのバスにあと3人というところで乗ることができた。
もちろん、バスはぎゅうぎゅう詰めで全く身動きできず。
寒さと不安から解放され、喜んでいた私達に、
その若い運転手さんは、「たいへんなのはこれからですよ」と申し訳なさそうに言った。
横浜駅に向かう道路は、ものすごい渋滞。
バス停ひとつに一時間かかる状態だということだったが、
少しでも、家に近付けるだけでとても嬉しかった。
乗客は皆そういう気持ちだったと思う。
私は、運転手さんの横の料金箱に貼りついていた。
フロントガラスから道路の様子がよく見え、
歩道を歩くたくさんの人が見えた。
中には、
ジョギングウエアで全身を固め、
颯爽と走るひとも、けっこういた。
会社にウエアをおいているのか。その姿は、とてもたくましく見えた。
横浜から先のルートについては、
どうしたら良いのか、
その時まったく見当もつかなかった。

途中のバス停から乗ることは、ほぼ不可能だった。
バスは、始発で無いと乗れないことを知った。
時間も、かかる。
横浜駅に着いたのは、出発から4時間後。
バス代210円で4時間も、温かい場所にいられたのはありがたかった。

横浜駅では、私の最寄り駅までのバスにも、
長蛇の列ができていたが、
渋滞はさらにひどいことを、バスの中で聴いていた。
車を使って、
家族を迎えに出た人が多かったのだ。

駅の構内、地下道にの両脇には、
家路を諦めた数万人の人が、新聞紙などをしいて横たわっていた。
少しでも温かい場所を、居場所を探していた時、
地下鉄の運転再開のアナウンスを受けた。
迷わず、そちらの方向に向かった。
市営地下鉄の対応は素晴らしく、
ホームへの入場規制もあったが、
6分おきに、徐行運転が行われた。
それで、大いに家に近づくことができ、
一番近い地下鉄の駅につくと、自宅近くまで行けるバスが待っていた。
本数は少ないのに、ラッキーというほかない。

そうして、自宅にたどり着いたのは午前1時。
家の布団で眠れる幸せを痛感した。

携帯の充電切れで、
そこからの情報は、不可能。
日頃から充電器を買っておくべきだった。
そして、
災害伝言ダイヤルのことは、
すっかり頭から消えていた。
携帯会社の伝言版があることも、
知らなかった。
つまり、
情報を得る手段を知らなかったのだ。


幸いにも、おそらく最短の時間で自宅に着くことができたが、
今回のことは、貴重な経験となった。
忘れないうちに、
自分に欠けていた部分を補っておこうと思う。









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